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[請求番号 177-0838]

崎陽諸図(きようしょず)

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幕臣の勤務地は江戸だけではありません。大坂・京都・長崎・奈良などの幕府直轄都市や金山がある佐渡など、江戸から遠く離れた地に赴任する奉行(遠国奉行)以下の幕臣もいました。

『崎陽ゥ図』は、長崎両奉行所・長崎会所・和蘭(おらんだ)屋敷(出島)・唐人屋敷・牢屋・火薬庫・番所・台場(砲台)など、長崎の諸施設の図を収録した資料。立山(たてやま)役所(現・長崎歴史文化博物館)と西役所の両奉行所の図には、それぞれの総坪数(3,239坪と1,679坪)も記されています。

長崎奉行の職掌は、中国やオランダとの貿易の管理(幕府や将軍家の需要品の購入、密貿易の取締りを含む)、キリシタン禁制、西国のゥ大名の監視、長崎の警備、外国使節等の応接など。役高1,000石・役料4,400俵余。定員は2名から4名の間を推移し、初期に外様大名が任ぜられた例を除いて、概ね500石から1,500石の旗本が拝命しました。

展示資料は、全24鋪。成立年代は不明。図に「新規御台場」の記述が見え、イギリスの軍艦が長崎港に不法侵入した「フェートン号事件」(文化5年<1808>)以後に作成されたものと推定されます。


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