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[請求番号 190-0181]

思忠志集(しちゅうししゅう)

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講談や芝居、時代劇の影響で、明治以降はご意見番≠フ老旗本と言えば、もっぱら大久保彦左衛門忠教(ただたか)を指すようになります。しかし江戸時代には、忠教に遅れること66年、宝永2年(1705)に85歳で没した旗本天野弥五右衛門長重(あまの・やごえもんながしげ)も、忠教に劣らぬ奇人として知られていました。『干城録』や随筆類には、権威に屈せず旗本としての筋を通そうとした説教好きの天野老人のエピソードが幾つも収録されています。

天野長重(1621-1705)は、禁裏付(きんりつき)などを務めた旗本天野長信(ながのぶ)の子。14歳で将軍家光に拝謁したのち、目付、先手鉄炮頭(さきててっぽうがしら)、鎗奉行を経て、旗奉行を最後に元禄14年(1701)に81歳で職を辞しました(当時の家禄は3,030石余)。

『思忠志集』は、天野長重が正保年間(1644-48)から元禄2年(1689)まで、40年以上にわたって折々に書きとめたことを、通し番号を付けて収録した記録。その件数は2,015条にのぼり、武士としての心得や健康法、死生観そして旗本の倫理等が、子孫や家来に諭し聞かせるように記されています。全22冊。


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