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[請求番号 纂01254]

勲四等江原素六へ藍綬褒章下賜ノ件(公文雑纂) (くんよんとうえばらそろくへらんじゅほうしょうかしのけん<こうぶんざっさん>)

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幕臣出身者の中には、明治以降、教育の向上と充実に尽力した人もいました。

江原素六(えばら・そろく 1842-1922)は貧しい幕臣の子として生まれ、昌平坂学問所や講武所で学んだのち、講武所教授方、砲兵指図役頭取並、撒兵頭などを務め、鳥羽・伏見の戦に従軍しました。

維新後、沼津(静岡県)に移住し、沼津兵学校の設立に参加。同3年から4年にかけて米国を視察し、帰国後は教育事業と殖産興業に尽力しました。その後、沼津中学校長や静岡県師範学校長を経て、明治23年(1890)の第1回衆議院選挙に当選(以後当選7回)。同28年(1895)、校長を務めていた東洋英和学校を改称して麻布尋常中学校を創立し、同33年(1900)に麻布中学校と改称(現在の麻布学園)。校舎を港区元麻布に移転しました。

明治45年(1912)、政党人として初めて貴族院議員に勅選され、大正11年(1922)に81歳で没しました。

展示資料は、大正2年(1913)10月、江原素六の教育事業における功績を褒賞して藍綬褒章(らんじゅほうしょう)が下賜された際の関係公文書です。


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