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講談や時代劇で取り上げられ人気を博した大久保彦左衛門ですが、その歯に衣を着せない物言いや傍若無人の行動は、必ずしも後世でっち上げられたフィクションではなかったようです。
徳川氏の創業から3代将軍徳川家光が亡くなった慶安4年(1651)までの幕臣2,700余人の列伝である『干城録』にも、大久保彦左衛門の、講談さながらの逸事が収録されています。『干城録』は若年寄堀田正敦(ほった・まさあつ 1758-1832)の発案で編纂作業が始まり、林大学頭述斎(はやし・だいがくのかみじゅっさい 1768-1841)の指揮の下に昌平坂学問所で編纂を継続。天保6年(1835)に全235巻が完成しました。最初に「松平部」を置き、以下、姓のいろは順に幕臣たちの伝記やエピソードを紹介しています。
展示資料は、昌平坂学問所旧蔵。全236冊。
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