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役職と職場

将軍直属で知行10,000石未満の幕臣のうち、通常、将軍に拝謁できる御目見(おめみえ)以上の者を旗本、御目見以下を御家人と称していました。その人数は合わせて22,000〜23,000人。老中や若年寄等の管轄下、幕府のさまざまな役職を務めましたが、役職の数には限りがあり、役職に就けない者もすくなくありません。希望の役職や昇進を求めて、猟官運動も盛んに行われました。

役人の手引書

町奉行や勘定奉行のような要職、目付・火付盗賊改など強力な職権を帯びた役職のほかにも、幕府には多くの役職があり、日々それぞれの職務に従事していました。なかには今日では考えられないような特殊な仕事も。

さまざまな仕事

江戸城その他幕府の諸役所に出勤する幕臣たちには、幕府の年中行事・法令・礼法故実・職制職階、あるいは徳川家の歴史、諸大名の家格等に関する知識が要求されました。とはいえこれら多岐にわたる知識を正確に記憶するのは難しく、このため必要な知識をコンパクトにまとめた、持ち運び便利なハンドブックが求められました。

異才の幕臣たち

260年以上も続いた江戸時代。そのほとんどは戦乱のない泰平の世で、旗本も御家人も総じて平穏な日々を謳歌し、現状維持の事なかれ主義の風潮に浸っていました。しかし中には個性的で進取と冒険の気概あふれる人材も。幕臣の世界から輩出した異才たちは、それぞれの職務を果たしだけでなく、貴重な著述を後世に残し、あるいは学問・芸術の発展に貢献しました。

賞罰と俸禄

幕臣たちは、家禄や役高のほか、特段の功績があった場合はもちろん、職務の遂行・出張・勤勉その他の理由で幕府から金銀や衣服等を下賜されました。賞あれば罰あり。殺人傷害などの犯罪あるいは職務上の過失を理由に処罰された者もすくなくありません。中には幕府内の敵対勢力の画策で不当に処罰された例も。

幕臣の生活を知るためには、その俸禄にも触れなければなりません。

幕末から明治へ

激動の幕末期。幕府は内外の難局に対処するために蕃書調所(のちに洋書調所、開成所と改称)や西洋医学所(のちに医学所と改称)を設けて、西洋の学術・技術の研究と海外情報の収集に努め、またオランダやイギリスに留学生を派遣しました。このような幕府の姿勢は、幕臣の子弟ばかりでなく各藩の優秀な若者たちにも西洋の進んだ文明に触れる機会を与え、彼らは、幕府倒壊後もさまざまな分野でわが国の文明開化に寄与することになります。

幕臣の住宅事情

幕臣たちはそれぞれの屋敷を幕府から拝領しましたが、拝領屋敷の敷地を他の武士や町人に貸し、自らは別の屋敷に住むケースも珍しくありませんでした。幕臣の間で互いの屋敷を合意の上で交換する「相対替(あいたいがえ)」もしばしば行われるなど、江戸の屋敷事情は複雑です。

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