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江戸城内では、中奧や大奥で飼育される小鳥や観賞魚の飼育(餌の調達、健康管理など)、捕獲された蛇・鼠・野良猫の処分なども、大切な仕事のひとつでした。奧坊主(おくぼうず)小道具役の業務日誌『言贈帳』には、餌になる蚯蚓(みみず)の手配や、野良猫・蛇・鼠をそれぞれ城外の特定の場所に運んで放したことがそのつど記録されています。城内で捕獲された動物は、生きたまま佃島や本所の回向院などに放すのが基本だったようです(猫は佃島、鼠は本所の回向院)。
奧坊主は、同朋頭(どうぼうがしら)の支配下。御目見以下で人数は天保9年(1838)に75人でした。将軍の身辺の日常的雑務が主な仕事で、組頭以下、職掌によって小道具役・召方(召物方)・手水方・湯殿方・薬方・鎰番(かぎばん)等の係があり、このうち小道具役は、小納戸(こなんど)(将軍の身辺に仕え理髪、食膳などに奉仕する旗本)の指示に従って諸道具の出納保管を行いました。動物の処分も小納戸頭取の指示で小道具役が手配したと思われます。
展示資料の『言贈帳』は、江戸城多聞櫓文書(たもんやぐらもんじょ)(幕末維新期の混乱で未整理のまま江戸城多聞櫓に残された46,000件以上の幕府文書)の1点で、弘化4年(1847)のもの。全1冊。
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