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甲介群分品彙(こうかいぐんぶんひんい)

[請求番号 197-0127]
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風鳥喑呼類(ふうちょういんこるい)

[請求番号 197-0293]
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江戸時代には、医者や専門の学者に限らず本草学(ほんぞうがく)(漢方の薬学)や博物学に興味を示す人がすくなくありませんでした。動植物や自然界のさまざまな事物に関心を抱き、研究しようと志した幕臣も多く、武蔵石寿(むさし・せきじゅ 名は吉辰のち吉恵。1766-1860)はその代表的な人物です。甲府勤番の旗本の子として誕生し、寛政3年(1791)に家を継いで甲府勤番となった彼は(家禄450石)、文政元年(1818)に新番(江戸城の土圭<とけい>の間に詰め、将軍が外出する際には先駆を務める役で番方のひとつ)を拝命して江戸に移りますが、同8年隠居。幕臣としての業績は特に知られていません。

彼の才能が花開いたのは、とりあえず公務とは無関係の博物学の世界。富山藩主前田利保(まえだ・としやす)を中心に結成された本草博物学の研究会である赭鞭会(しゃべんかい)に参加した石寿は、多彩なメンバーと交流することで知識を深め、貝類の研究をはじめ多数の業績を残しました。号は石寿のほか、貝翁、翫砢翁など。万延元年(1860)に95歳で没しました。

『甲介群分品彙』は『群分品彙』とも。貝類605品の彩色図をを7類に分けて載せ解説を添えた図譜で、天保7年(1836)序。「赭鞭会」の研究仲間でもあった前田利保(自知春館主人)が序を記しています。石寿はのちに江戸時代最高の貝類彩色図譜と評される『目八譜』を著しました。農商務省旧蔵。全2冊。

『風鳥喑呼類』は、風鳥(極楽鳥)とインコの彩色図。文政13年(1830)頃の成立か。奧に「翫砢翁 武蔵石壽」の署名と、「竹石主人武蔵吉恵印」の朱印があり(別に「武蔵石寿庫中」の朱印も)、石寿の蔵書であったことがわかります。全1軸。


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