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幕末の幕府に仕え、明治維新後もその才能を発揮した人々の中でも、柳河春三(やながわ・しゅんさん 1832-70)は特筆すべき人物といえるでしょう。
名古屋に生まれ、蘭学と博物学、西洋砲術を学んだのち、安政3年(1856)に25歳で江戸に出た春三は、同5年、紀州藩に寄合医師として禄を得て同藩の蘭学所に勤務。その後、幕府に出仕して開成所教授職に任ぜられ、慶応4年(1868)に開成所頭取に進みました。
この間、横浜で外国人向けに刊行されていた英字新聞等を翻訳し、慶応元年(1865)には会員に翻訳新聞の写しを提供する「会訳社」を組織。慶応3年10月にわが国最初の雑誌『西洋雑誌』を、同4年2月にはわが国最初の新聞とされる『中外(ちゅうがい)新聞』を発行するなど、近代的ジャーナリズムの定着に貢献しました。オランダ語・英語・フランス語そして数学や化学にも通じていた春三は、維新後も新政府から「翻訳督務」を命ぜられ、洋書の翻訳監修を行いましたが、明治3年(1870)に肺結核のため39歳で没しました。
展示資料の『英国刑典』は、英国の刑法の解説書を鈴木唯一と後藤謙吉が翻訳し、柳河春三が校正出版した書。明治2年(1869)刊。外務省旧蔵。全1冊(上巻のみ)。
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