「元禄地震」は「宝永地震」と違い、江戸にも大きな被害を及ぼしました。新井白石は大地震当日のありさまを『折たく柴の記』に活写しています。元禄16年(1703)11月22日の夜半過ぎ、白石(47歳)は湯島天神下の屋敷で大きな揺れを感じ目を覚ましました。妻子を連れて庭に避難した白石は、倒れた戸を地面に敷き並べて地割れの危険から家族の身を守ったのち、着衣を改めて日比谷門外にある甲府藩邸(桜田上屋敷)を目指しました。途中、神田明神の東門下のあたりで再び激震に襲われた白石は、火災が起きないよう「灯うち消すへきものを」(灯りを消せ)と家々に声を掛けながら走り抜けたということです。神田橋の手前まで来たところでまた大揺れ。家屋が倒壊し人々の泣き叫ぶ声が、たくさんの箸を折ったり蚊が群がる音のように聞こえたとも書かれています。
22. 折たく柴の記
[請求番号 166-0188]