21. おりたくしばの記

[請求番号 166-0188]

新井白石はくせき(1657―1725)の自叙伝『折たく柴の記』に、宝永4年(1707)11月、富士山大噴火によって江戸市中に灰が降ったときの様子が詳しく記されています。23日、前夜の地震に続いて昼頃から雷鳴のような音が聞こえ、やがて雪のように白灰が降ってきたというのです。降灰は午後8時頃止みましたが、地鳴りと地震はそのまま。25日からは黒灰が降り始め、空中に飛散する大量の火山灰で呼吸器の疾患を起こす人が続出したとも書かれています。噴火後はさまざまな怪現象の風聞も流布しましたが、白石の記録態度は、「まのあたり見しにもあらぬ事共は、こゝにはしるさず」(自分の目で確かめていない事は書かない)と慎重そのものです。

新井白石、名は君美きんみ上総国かずさのくに久留里くるり藩主土屋家に仕えたのち、木下順庵の推挙で徳川綱豊つなとよ(のちの6代将軍家宣いえのぶ)の侍講となり、宝永6年(1709)に綱豊が将軍職に就いてからは、その側近として幕政に大きな影響を及ぼしました。『折たく柴の記』は、白石が父祖および自分の事績を子孫に伝えようと執筆した書で、書名は後鳥羽上皇の歌「思ひ出づる折たく柴の夕煙 むせぶもうれし忘れがたみに」(新古今集)に拠ると言われています。 全3冊。

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