17. 後見草
浅間山噴火の影響は、オランダ解剖書の翻訳等で知られる医師杉田玄白(1733―1817)の『後見草』巻下にも克明に記録されています。7月6日夜半、西北の方向に雷のような音と振動が感じられ、夜が明けても空はほの暗く、庭には細かい灰が…。灰はしだいに大粒になり、8日は早朝から激しい振動が江戸を襲ったが、当初人々は浅間山が噴火したとは思わず、日光か筑波山で噴火があったのではないかと噂し合ったと記されています。やがて関東各地から情報がもたらされ、玄白はこれらも書きとめて「浅間焼け」の災害記録を充実させました。
『後見草』は、亀岡宗山(1640―?)という幕臣が残した明暦の大火の記録を入手した玄白が、宝暦10年(1760)から天明7年(1787)までの天変地妖(地震、大火、飢饉など)について書きとめた自らの手記を増補して一書としたもの。全3巻。上巻に明暦の大火の記録、中・下巻に玄白の災害記録が収められています。全1冊。