3. 地震紀聞きぶん(『視聴草みききぐさ』続4集の4)

[請求番号 217-0034]

『視聴草』は、江戸末期の旗本宮崎成身が、文政13年(1830)から30年以上にわたって集めた各種資料や情報を、自他の著述と合わせて綴じた雑録。全176冊。

安政2年(1855)10月2日の夜、宮崎成身とその家族は牛込神楽坂下の屋敷で大揺れに襲われました。この年は例年になく暖かく、このような年には大地震があるかもしれぬと、成身は5、60両の金を貯えておいたほか、災害時の備えに怠りありませんでした。このため深夜突然「下より突き上らるる」ほどの激震に見舞われても家内に1人の負傷者もなく、半壊した屋敷も速やかに復旧したと、誇らしげに記しています。成身が震災の詳細をまとめた「地震紀聞」には、このほか新築の家を過信して逃げ遅れ圧死した幕臣の話や火鉢に両手を入れたままはりの下敷きになって死んだ女性の悲劇など、震災による被害の様子が克明に記録されています。

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