6. 下田聞見略記しもだけんぶんりゃっき

[請求番号 173-0132]

「安政東海地震」による大津波で下田の町(現在の静岡県下田市)が大きな被害をこうむった様子を記した資料です。著者未詳。

嘉永7年(1854)11月4日の激震後、数回にわたって下田港に襲来した大津波の高さは約5メートル。瞬時のうちに家屋を破壊し多くの人命を奪いました。住民はさながら地獄の鬼に迫われるように山に避難しましたが、命が助かったのは全体の1割5分に過ぎなかったとか。津波が引くと盗賊が斧を手に土蔵に押し入り、金品を強奪したとも書かれています。そんな不法が横行する一方で、国際的な美談も生まれました。折から下田港に停泊中のロシアの軍艦ディアナ号が津波で大破しながらも日本人を救出したというのです(ちなみにディアナ号は西伊豆の戸田へだ港へ曳航中に沈没。日本の船大工の手でロシア人のために新船が建造され、完成した帆船は、ロシアの提督プチャーチンによって戸田号と命名されました)。

なおこの地震の津波は、「安政南海地震」の津波ともども太平洋を渡り、北米沿岸に達したということです。 全1冊。

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