16. 武江年表
江戸神田雉子町の名主で『東都歳事記』ほかの編著者として知られる斎藤月岑(名は幸成。1804―78)の『武江年表』にも、天明3年(1783)の浅間焼けの詳しい記事が見られます。「信州浅間山火坑大に焼、江戸にては七月六日夕七ツ半時(午後5時頃)より西北の方鳴動し、翌七日猶甚し、天闇く夜の如く、六日の夜より関東筋毛灰降らす事夥し」と概況を述べたのち、各地の被害の状況が細かく記されています。
『武江年表』は、家康が江戸に入城した天正18年(1590)からから嘉永元年(1848)までの詳細な江戸(武江)年表。嘉永2年、3年に刊行されました。寺院の開帳や火事・地震・洪水・疫病の記事が豊富で、また「三つ子誕生」など市井のニュースも採録されています。月岑は、明治11年、嘉永2年から明治6年(1873)までの年表(『武江年表』後編)を脱稿したのち、75歳で亡くなりました。全8冊。