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旗本や御家人は幕府からどのように給料を与えられていたのでしょうか。幕臣には、知行所(領地)から年貢を徴収する「知行取(ちぎょうとり)」と蔵米(くらまい)を3回に分けて支給される「蔵米取(くらまいとり)」の2種があり、知行取は大体500石以上の旗本。それ以下の幕臣は、春・夏・冬に分割支給された蔵米(春夏の分を借米<かりまい>、冬の分を切米<きりまい>と称しました)を米と現金で受け取り生活の糧としました。
蔵米の現金化は幕府の公定相場(「御張紙直段<おはりがみねだん>」あるいは「御張紙相場」とも)に基づき、これら蔵米取の俸給受取りのゥ手続きや米の販売を委託されていたのが札差(ふださし)と呼ばれた富商たちで、彼らはまた蔵米を担保に幕臣たちに融資も行いました。
『官府御沙汰略記』は、広敷添番(ひろしきそえばん 大奥の出入りの監視等を担当)を最後に引退した幕臣、小野直方(おの・なおかた)が、延享2年(1745)から安永2年(1773)まで、幕府の令達や人事等の記事に加え小野家の日々の生活を記録した書。徳川三卿のひとつ一橋家に出向していた小野直泰(なおやす)(直方の子で小野家の当主)が受け取った俸給や家計についても詳細が記されています。小野直泰は宝暦7年(1757)に徒頭(かちがしら)に昇進、200俵の禄と役金(役職手当)10両を得ていました。
展示資料は、内務省旧蔵。全28冊。
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