ここから本文
長谷川平蔵宣以ほど知られていませんが、長谷川の後任として火付盗賊改を拝命した森山孝盛(もりやま・たかもり 通称は源五郎。1738-1815)も、松平定信に用いられ、寛政期に活躍した旗本のひとりです。
森山孝盛は、寛政2年(1790)に徒頭となったのち、同3年に目付に昇進。同6年に先手鉄炮頭となり、翌7年から8年にかけて火付盗賊改を務めました。その後、定信が老中職を退くと、西丸勤務に転じ、西丸鎗奉行を最後に、文化9(1812)に75歳で職を辞し、同12年に78歳で没しています。
『自家年譜』は、孝盛が日々の記録を後にまとめたもの。第1冊目(父森山盛芳<もりとお>の日記)を除き、明和7年(1770)から文化8年(1811)までの孝盛の「日記」が収められています。内容は森山家の暮らしぶりや公務、幕政の動向だけでなく、当時の旗本御家人たちの生態や話題の事件の記述など多種多彩。孝盛はすぐれた歌人で、また『賤(しず)のをだ巻』『蜑(あま)の焼藻(たくも)』の著書としても知られています。
展示資料は、全29冊。
本文ここまで