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[請求番号 217-0034(冊次35)]

銅製造図(視聴草)(どうせいぞうず<みききぐさ>)

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享和元年(1801)、大坂銅座詰を拝命した53歳の大田南畝は、2月27日に江戸を出立し、3月11日に大坂に到着。翌年3月21日に大坂を発つまで(4月7日に江戸着)、ほぼ1年間大坂銅座で勤務しました。大坂滞在の間、南畝は公務の余暇に、博物学者で蔵書家としても著名な木村蒹葭堂と親交を深め、また『雨月物語』の著者の上田秋成とも面会しています。

大坂銅座は、長崎貿易でわが国の輸出品となる棹銅(さおどう)を確保するために設けられた役所。各地の銅山で採掘された荒銅を買い上げて銅吹屋仲間に精錬させ、製造した棹銅を長崎に送るのがその主な仕事でした。

展示資料は、『視聴草』(みききぐさ)35冊目に綴じられた「銅製造図」。銅の採掘から棹銅が製造されるまでの工程を、大坂の絵師丹羽桃渓が描いたもので、「南畝文庫」「大田氏蔵書」の朱印が押されていることから、南畝の旧蔵であったことがわかります。職務上必要な資料として手元に置いていたのでしょうか。

南畝はまた同じく丹羽桃渓が図を描き、銅山経営や銅の精錬、貿易を業としていた大坂の豪商泉屋(住友)が刊行した『鼓銅図録』の題字も書いています。


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