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[請求番号 181-0074]

徳鄰厳秘録(とくりんげんぴろく)

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罪人の収監と処刑という重要な職務の主要な担当者は、「囚獄(しゅうごく)」俗に牢屋奉行と呼ばれた幕臣です。「囚獄」は、石出帯刀(いしで・たてわき、御目見以下で300俵)が世襲で務め、伝馬町牢屋敷の入牢者の管理や行刑等を指揮しました。歴代の囚獄の中では、明暦(めいれき)の大火(1657年)の際に、人命尊重のために独断で囚人を牢外に避難させた3代目石出帯刀(名は吉深、号は常軒。1615-89)がよく知られています。吉深の試みは、その後も「切放(きりはなし)」として牢屋敷の慣行になりました。

『徳鄰厳秘録』は、親の代から二代にわたって「牢屋見廻与力(ろうやみまわりよりき)」(囚獄が行う行刑の適否等を監査する係)を務めた北町奉行所与力蜂屋(はちや)新五郎が、文化11年(1814)4月に編集した書。拷問や入墨の様子、獄門・火刑・御様(おためし)(処刑された死体で行われた将軍家の刀剣の試し斬り)等の仕方を彩色の図入りで解説しています。

天保11年(1840)4月に記された「はしがき」によれば、展示資料は、稲葉丹後守正守(まさもり 山城国淀藩主で、奏者番、寺社奉行を歴任)が所持していた写本を転写したもの。幕府の最高裁判所で、将軍や老中の諮問機関も兼ねた評定所(ひょうじょうしょ)の参考文献とされたということです。内務省旧蔵。全1冊。


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