第三部 戦後の改革

女子差別撤廃条約 -差別なき世界へ-

昭和47年(1972)、国連は1975年を国際婦人年と定め、国際婦人年世界会議の開催を提案しました。同年に開かれた会議では、女性の地位向上を目指して、昭和51年から60年までの10年間を「国連婦人の10年」と定めました。同時に「世界行動計画」が決定され、10年の間に、世界各国、各機関や各団体が、女性の地位向上のため、それぞれの地域の実情に応じて目標を選び、行動することが呼びかけられました。

昭和54年には、国連の第34回総会で女子差別撤廃条約(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約)が採択されました。この条約は昭和42年に出された女子差別撤廃宣言に、国際条約として強制力を持たせたもので、「女子に対する差別は権利の平等の原則及び人間の尊厳の尊重の原則に反する」とうたっています。

61 日本の行動計画

婦人問題企画推進本部の決定に係る「国内行動計画」について

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掲載資料は、昭和52年2月1日「国内行動計画」の閣議決定の文書です。同計画は、昭和52年から昭和61年までを対象とし、「法制上の婦人の地位の向上」「男女平等を基本とするあらゆる分野への婦人の参加の促進」「母性の尊重及び健康の擁護」「老後等における経済的安定の確保」「国際協力の推進」を施策の基本的方向として定めました。

62 女性初の大使を政府代表に

特命全権大使高橋展子外27名に国連婦人の10年1980年世界会議日本政府代表等を命ずるについて

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掲載資料は、昭和55年、デンマークのコペンハーゲンで開催された「国連婦人の10年中間年世界会議」の日本政府代表を任命したときの文書です。「世界の開発及び平和の推進にとり女性の完全かつ平等参加が不可欠」との認識にたち、「男女平等並びに婦人の地位の向上」について審議される本会議に積極的に参加する必要性を、その理由書で述べています。

この会議に日本の首席代表として参加し、条約に調印したのが駐デンマーク大使のたかはしのぶ(1916~1990)でした。高橋は現在の中華人民共和国長春市に生まれ、東京女子大学を経て、昭和12年、早稲田大学を卒業しました。昭和22年、労働省に入省。婦人課長を経て、婦人少年局長を務めました。ILO(国際労働機関)事務局長補を務めたのち、昭和55年、女性初の大使として、駐デンマーク大使に任命されました。

63 条約の批准

女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約・御署名原本・昭和六十年・第七巻・条約第七号

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日本は、条約でうたわれている「子の国籍に関し、女子に対して男子と平等の権利を与える」、「(男女)同一の教育課程」、「(男女)同一の雇用機会」という点で国内の法律を整備する等の対応を行い、昭和60年に条約を批准しました。

掲載資料は、昭和60年7月1日に公布された女子差別撤廃条約の公布原本です。本条約は、男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女子に対するあらゆる差別を撤廃することを基本理念としており、具体的には、「女子に対する差別」を定義し、締約国に対し、政治的及び公的活動、並びに経済的及び社会的活動における差別の撤廃のために適当な措置をとることを求めています。