第二部 女性の社会進出

谷野せつ -労働行政と女性-

明治期、殖産興業政策が推し進められる中、産業の近代化により、多くの工場が建設され、女性は製糸工場などで「女工」として働くようになりました。昭和に入り、戦時体制が深まると、女性は戦地へ派遣された男性の労働力不足を補い、過酷な重労働にも従事するようになりました。女性の労働環境の管理は重要な問題となり、厳しい社会状況の中、たにせつ(1903~1999)は、厚生省(昭和13年に設置)で労務官として対応に当たりました。

36 女性の労働環境の改善

鉄道官補小林実外八名任免ノ件○厚生属谷野せつ外三名任官、海運局事務官兼大蔵理事官橋本利八任官、陸軍司政官野木新一任官

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谷野せつは、大正15年(1926)、日本女子大学校を卒業後、内務省社会局や警視庁工場課に勤務し、昭和11年(1936)には、日本初の女性工場監督官補として女性の労働環境の改善に努めました。昭和19年、厚生省労働局で勤務していた谷野は厚生省労務官に任命され、女性初の行政官(高等官)になりました。

掲載資料は谷野が厚生省労務官に任命された際の文書です。

37 「勤労女性の健康管理を充分に」

写真週報 296号 昭和18年11月3日号

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昭和18年11月、谷野は内閣情報局が発行するグラフ誌『写真週報』(296号)に「勤労女性の健康管理を充分に」という記事を書いています。谷野は体操などをはじめとする健康管理の方法を解説し、「健康管理は、女子勤労者がやがて母になることを思へば重大な問題であります」と説きました。

38 労働省婦人少年局の設置

労働省設置法

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昭和22年、「労働者の福祉と職業の確保とを図り以て経済の興隆と国民生活の安定とに寄与するため」労働省が設置されました。同省には婦人少年局が置かれ、婦人や年少労働者の保護、婦人の地位向上などに関する事務を担当することとされました。谷野は、労働省婦人少年局婦人労働課長となり、初代婦人少年局長のやまかわきくを助け、昭和22年の労働基準法制定に参加しました。昭和30年には、労働省婦人少年局長になり、女性官僚の先駆けとして労働行政の分野で活躍、昭和38年に退任しました。