第三部 戦後の改革

藤田たき -女性初の国連代表-

藤田たき(1898~1993)は、愛知県に生まれ、大正9年(1920)に女子英学塾(現在の津田塾大学)を卒業、アメリカのブリンマー大学に留学。帰国後は、母校できょうべんをとりながら、婦人問題に関する研究を行いました。

昭和3年(1928)、汎太平洋婦人会議に日本代表として参加、同じ日本代表として会議に参加した市川房枝と親交を結びます。帰国後は婦人参政権運動や、市川が所長を務めた婦人問題研究所の設立に尽力しました。

昭和37年、第4代津田塾大学学長となります。

56 婦人少年局長に

藤田たき任官並びに補職の件

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昭和26年、藤田はやまかわきくの後をついで、労働省婦人少年局長に就任します。掲載資料は、藤田が労働省婦人少年局長に任命された際の文書です。藤田は当時、政府で唯一の女性局長として、山川局長時代から問題化していた婦人少年局の縮小廃止問題などの対応にあたるなど、多難な時期を過ごしました。

57 海外出張へ

婦人少年局長藤田たきアメリカ合衆国へ出張の件

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掲載資料は、昭和28年に国連経済社会理事会「婦人の地位委員会」に出席のため、藤田に米国へ海外出張を命じることについて閣議了解された際の文書です。これは、女性局長として初の海外出張でした。

58 代表団の一員として国連総会へ

特命全権大使(国際連合日本政府代表部)松平康東外23名を国際連合第12回総会日本政府代表等に任命することについて(外務省)

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昭和32年には国連第12回総会の日本政府代表団に女性初の国連代表として参加し、婦人の地位向上に関する委員会などに出席しました。掲載資料は、藤田等を国連第12回総会日本代表等に任命することについて、外務省が閣議に報告した際の文書です。

藤田はその後の昭和50年、国連が主催した国際婦人年世界会議に日本首席代表として参加しました。昭和51年から昭和60年までの「国連婦人の10年」の期間、政府が設置した婦人問題企画推進会議の座長として、女子差別撤廃条約(女子に対するあらゆる形態の差別撤廃に関する条約)の批准や、男女雇用機会均等法の制定などに大きな役割を果たしました。