第二部 女性の社会進出

瓜生イワ -人々を助ける-

瓜生うりゅうイワ(1829~1897)は、生涯にわたって社会福祉事業に奔走し、その先駆けとなった人物です。瓜生は文政12年(1829)、福島県郡(現在の福島県喜多方市)に生まれました。幕末のころ、夫と死別した瓜生は会津に住む女性に対する啓発活動や慈善事業に従事します。当時、瓜生は常に30人前後の貧困家庭の子女を養っていたといわれています。

しん戦争後の会津は荒廃し、教育も満足に行えない状況でした。そこで、瓜生は会津地方の貧民救済や孤児の教育活動などを行います。また、自宅に貧児養育所を設置し、衣食住や仕事の世話をしました。

22 世の模範

瓜生祐次郎養母イワヘ藍綬褒章下賜ノ件

纂00366100

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瓜生は、明治20年代には、福島の各郡に育児会を設置し、子女の救済に力を尽くしています。この頃、福島県ではばんだいさんの噴火(明治21年)、県内各地での水害など、天災が続き、多くの被害が出ました。この時も、イワは被災者の救護や人々の生活の世話に奔走しました。

明治27年以降は東京の下谷に住み、貧しい人々のためにみずあめの製造を教えました。また、自身が考案した水飴のかすに米麦粉を混ぜて作る飴糟餅(飴糟煎餅麺包とも)と呼ばれる救荒食や古着を上野公園や谷中墓地で配り、「施しの婆さん」と親しまれました。

生涯を通じて社会福祉活動に励んだ瓜生は、明治29年(1896)に女性初のらんじゅほうしょうを受章します。掲載資料は受章の際の上申書です。瓜生が生涯にわたって続けてきた様々な社会福祉活動が詳細に書かれており、瓜生の功績を「実に操行の至篤なる世のかん」と評しています。