第二部 女性の社会進出

中田正子 三淵嘉子 -司法の世界へ-

日本初の女性弁護士になったのがなかまさ(1910~2002)です。中田は、東京に生まれました。昭和6年(1931)、日本大学法学部の選科生となり、昭和9年には、当時の大学の法学部で女子の入学が唯一認められていた明治大学専門部に転入。翌年、明治大学法学部に進学しました。昭和13年、高等試験司法科に女性で初めて合格します。

ぶちよし(1914~1984)は中田らとともに、昭和13年に女性で初めて高等試験司法科に合格しました。昭和22年、裁判官採用願を提出しますがこの時は採用されず、昭和24年になって採用され、初の女性裁判官になりました。

33 弁護士法の改正

弁護士法改正法律○法律事務取扱ノ取締ニ関スル法律

類01846100

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昭和8年、弁護士法が全面改正され、それまで弁護士は、「日本臣民ニシテ民法上ノ能力ヲ有スル成年以上ノ男子タルコト」(第2条)とされていたものが、「帝国臣民ニシテ成年者タルコト」となりました。これにより、女性にも弁護士への道が開かれました。

34 初の女性弁護士へ

高等試験及第者報告綴

昭46総00214100

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昭和13年、高等試験司法科に3人の女性が初めて合格しました。掲載資料は、高等試験委員長が内閣総理大臣に提出した、同年の口頭試験の結果を報告する文書です。合格者の中に田中(中田)正子、武藤(三淵)嘉子、あい(後の明治大学短期大学教授)の名前が見えます。当時の制度では、高等試験司法科に合格したのち、弁護士試補試験に合格すると、弁護士として開業することができました。

中田はその後、昭和15年の弁護士試補試験に合格し、女性初の弁護士になりました。弁護士試補試験に合格する前年には、中田よし(のち参議院議員)と結婚。昭和20年、夫の郷里である鳥取県に移ります。鳥取県では、鳥取県弁護士会会長(女性初の弁護士会会長)などを務め、精力的に活動しました。

35 裁判官となった三淵嘉子

判事補和田嘉子外1名判事等任命の件

平1総00220100

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和田(三淵)嘉子は、中田正子らとともに、昭和13年に女性で初めて高等試験司法科に合格しました。昭和24年に裁判官となった後、昭和27年には名古屋地方裁判所で日本初の女性判事となり、昭和47年には、新潟家庭裁判所の裁判所長に任命され、日本初の女性家庭裁判所長になりました。浦和、横浜の各家庭裁判所で裁判所長を務めた後、昭和54年に退官しました。

掲載資料は昭和27年、三淵が判事に任命された際の文書です。