第三部 戦後の改革
女性を取り巻く状況は、戦後大きな変革を遂げました。様々な改革が進められる中で、女性参政権の実現、男女平等を定めた日本国憲法の公布、民法改正による「家」制度の廃止、教育の機会均等、男女共学を定めた教育基本法の公布など、女性の権利拡大が図られ、女性の社会進出と地位向上への基本的な条件が整えられました。
特に女性参政権については、戦前から平塚らいてうや市川房枝等による婦人公民権運動が行われていましたが、昭和20年(1945)に衆議院議員選挙法が改正されたことにより実現します。翌年、戦後初めて行われた選挙では、多くの女性議員が誕生しました。
一方、こうした改革と日本経済の発展による労働需要の拡大は、それまで女性に門戸が閉ざされていた職業や、戦後新しく登場した職業へ女性が進出する機会を与えました。高度経済成長期に入り、雇用者に占める女性の割合が飛躍的に上昇すると、家庭と職業の両立が課題として認識されるようになりました。こうした中で、昭和47年には、女性が職業生活と育児や家事等の家庭生活との調和を図ること及びその能力を有効に発揮し、充実した職業生活を営むことを目的とした勤労婦人福祉法が公布されました。
さらに昭和50年の国際婦人年では、国内で男女の雇用機会均等についての法的整備を求める機運が急速に高まりました。昭和54年に日本が女子差別撤廃条約に署名したことにより、昭和60年に勤労婦人福祉法を改正する形で男女雇用機会均等法が公布されました。職場における男女の差別を禁止し、募集・採用から退職までの面で男女とも平等に扱うことを定めた同法は、男女共同参画社会実現の第一歩と言えるものでした。同法の施行により、女性の就業に関する一般の意識、企業の取組は次第に変化することとなり、女性の働き方が多様化していきました。また、高度経済成長期以降の経済の成熟の中で、高齢化社会の到来、出生率の低下、教育水準の向上等により、女性のライフサイクルも大きく変化していきました。
こうした社会の変革に合わせ、平成11年(1999)には、男女共同参画社会基本法の公布、平成13年には、男女共同参画を担当する男女共同参画局の設置など、国の重要課題として様々な政策が展開されることとなりました。平成27年には女性活躍推進法が公布され、現在も積極的な取組が続いています。
治安警察法改正運動 -女性参政権を求めて-
大日本帝国憲法下の我が国では、女性の政治参加は厳しく制限されていました。明治22年(1889)に制定された衆議院議員選挙法では、選挙権、被選挙権が認められていたのは男性のみでした。また、明治33年に成立した治安警察法によって、女性は政治団体への加入、政治集会の開催や参加が禁止されていました。
43 平塚らの請願
治安警察法第五条中改正ノ請願ノ件
纂01587100
やがて、女性の政治参加を求める動きが、治安警察法の改正という形で生まれることになりました。明治30年代後半には、治安警察法改正の請願が、平塚らいてう等により出されていましたが、大正期に入ると、平塚のほか、市川房枝(1893~1981)や奧むめお(1895~1997)等が中心となった新婦人協会により活発に運動が展開されるようになりました。
掲載資料は、大正10年(1921)に平塚明(らいてう、1886~1971)等が治安警察法第5条の改正を求めた請願についての衆議院議長の意見書です。この請願に対して衆議院は「趣旨ハ至当」として採択しました。しかし、この時には改正に至りませんでした。
44 わずかに開かれた政治参加
治安警察法中ヲ改正ス
類01448100
治安警察法は、大正11年に、女性の政談集会への参加を禁じた第5条第2項を削除する改正が行われました。この改正によって、女性にも政治参加の道がわずかに開かれることになりました。