第二部 女性の社会進出

幸田延 安藤幸 -幸田家の人々-

幸田家は多くの芸術家、文筆家を生みました。こうのぶ(1870~1946)には、兄に幸田しげゆき(露伴・作家)、弟に幸田しげとも(歴史家)、妹にあんどうこうがいます。明治14年(1881)、お雇い外国人の音楽教師メーソンに見いだされ、翌年に音楽とり調しらべがかり(現在の東京芸術大学)伝習生となり、バイオリン、ピアノ、声楽の伝習を受けました。明治22年、文部省の第1回音楽留学生としてアメリカ、オーストリアに留学、明治28年に帰国します。

妹の安藤幸(1878~1963)は、明治27年に東京音楽学校本科に入学、明治32年、ドイツに留学の後、明治35年に帰国、東京音楽学校教授を昭和7年(1932)まで務めました。安藤はバイオリンの独奏や室内楽を得意とし、国際的なコンクールの審査員としても活躍しました。明治32年には、皇后の東京音楽学校行啓に際して、姉の延と共にバイオリン二部合奏による御前演奏を行っています。

幸田延肖像、安藤幸肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」
(https://www.ndl.go.jp/portrait/)
幸田延肖像、安藤幸肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」
(https://www.ndl.go.jp/portrait/)

31 帝国芸術院会員となる

井上通泰外二十三名帝国芸術院会員被仰付ノ件

任B02214100

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東京音楽学校教授となった幸田延は、明治42年に休職するまで、たきれんろうやまこうさくうらたまきなど、日本を代表する音楽家を育てました。昭和12年、延は、兄の露伴とともに、最初の帝国芸術院会員となりました。同時に会員となった人々には、文筆家のとくとみいちろうほう)、音楽家のたちばないとなどがいました。延は作曲にも力を入れ、日本人初のバイオリン・ソナタとなる「バイオリン・ソナタニ短調」(明治30年)や、合唱付きの交響曲「大礼奉祝曲」(大正4年)等を作曲しました。

32 幸田家の人々

長岡半太郎外八名文化勲章授与ノ件

勲00798100

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昭和12年、文化勲章令が制定され、幸田露伴やながおかはんろう(物理学者)、たけうちせいほう(日本画家)らが受章しました。露伴は、明治時代の日本文学で尾崎紅葉おざきこうようと双璧をなす作家であると評価されています。

また、妹の安藤幸も昭和33年、文化功労者に選ばれています。