36. 耳嚢
(みみぶくろ)

[請求番号 211-0117]

天明3年(1783)、四方赤良(よものあから 大田南畝)らが編集した『万載狂歌集』の出版は、江戸の狂歌ブームに火をつけ、「天明ぶり(天明調)」と呼ばれる、機知と笑いに富んだ作風の狂歌が大流行しました。おのずと愛好者も急増。大田南畝・木室卯雲・山崎景貫(1738―98 先手与力を務めた幕臣で、狂名は朱楽菅江)などの著名な作者のほかにも、滑稽で趣向を凝らした狂名を持つ幕臣狂歌人が幾人も生まれました。

『耳嚢』は、佐渡奉行・勘定奉行・町奉行を歴任した旗本、根岸鎮衛(ねぎし・やすもり)が30年にわたって綴った雑話集。根岸はこの中で「狂歌流行の事」と題して天明初期に始まった狂歌ブームにふれ、自身がとりわけ面白いと感じた2首の狂歌を紹介しています。

ひとつは四方赤良(大田南畝)が親友の70歳の御祝いに詠んだ歌で、もうひとつは夫が吉原に居続けして帰宅しないことを詠んだ朱楽菅江(あけらかんこう)の妻の歌。どちらも秀逸。朱楽菅江の妻は幕臣の娘で、節松嫁々(ふしまつのかか)の号をもつ女流狂歌人でした。

展示資料は、全5冊。内務省旧蔵。

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