27. 御書物方日記
(ごしょもつかたにっき)

[請求番号 257-0002]

書物奉行の成島仙蔵は『後撰和歌集』の見事な複製本を作成しましたが、手先の器用さは書物同心にも求められました。

蔵書の出納や曝書のほか、地震や台風のあとに書庫の破損・漏水箇所を精査するなど、同心の業務はさまざまでしたが、寛政3年(1791)になると、新たに紅葉山文庫の書物や絵図の修復の仕事も彼らに課されるようになります。それまで「御書物師」(幕府の御用書肆)の出雲寺の職人に外注していた修復作業を、書物同心の「御修復掛り」に行わせるようになったのです。書物方ではこれを「御手前細工御修復」と称しました。

貴重な蔵書を修復するためには相当の技術が必要なはず。担当した同心たちも修復技術を習得しなければなりません。修復が済んだ書物や絵図は、若年寄によって出来ばえがチェックされ、修復掛りの同心たちには手当が支給されました。

寛政5年(1793)には、石川島人足寄場(無宿等を収容し職業訓練を施した幕府の施設)に、修復作業や日々の業務から出た不用紙や紙屑を売却し、その代金で人足寄場で生産された「漉返紙」(すきかえしがみ 再生紙)を購入するようになりました。

展示資料は、全209冊。

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