10. 多紀養春院ほか二十八名奥医師名前(多聞櫓文書)
(たきようしゅんいんほかにじゅうはちめいおくいしなまえ・たもんやぐらもんじょ)

[請求番号 多024485]

幕末の奥医師には、松本良順のほかにもすぐれた医師がいました。浅田宗伯(1815―94)は腰背の激痛で苦しむフランス公使ロッシュを漢方薬と鍼治療で快癒させ、皇帝ナポレオン3世から時計ほかを授与された名医(その後、慶応2年〈1866〉に御目見医師から奥医師に昇進)。遠田澄庵(1819―89)は、食事療法による先駆的な脚気治療で知られています。

二人は明治維新後も医師として活躍。宗伯は後進の教育と著述に励み、澄庵は官立脚気病院に勤務したのち、遠田脚気病院で患者の治療を続けました。

展示資料は、幕末の奥医師の名前一覧。本道(内科)・同小児科・眼科・外科・口中科(歯科)・鍼科の医師計29名(うち1人は「奥医師見習」)の名が記され、文久2年(1862)のものと推定されます。大膳亮章庵は「本道」とありますが、正確には「本道婦人科」、すなわち婦人科医でした。

名簿には、大坂の適塾で大村益次郎、大鳥圭介、福沢諭吉ほか多くの人材を育成するとともに、種痘の普及に尽力した蘭学者で医師の緒方洪庵(1810―63)の名も見えます。洪庵は文久2年に奥医師を拝命しましたが、翌年6月に喀血して急逝しました。

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