11. 当世武野俗談
(とうせいぶやぞくだん)

[請求番号 218-0002]

幕府の奥医師は最高の医術を身につけた医師の集団であるはずですが、実際には必ずしもそうではありませんでした。とりわけ世襲の医師は医術の習得に努めないので役に立たない場合が多く、このため町医者や藩医のうちから医術にすぐれた者を御目見医師とし、さらにその中から奥医師に抜擢することが行われました。

しかし抜擢された者がみな名医だったかというと…。なかには巧みな弁舌と処世術を駆使して、医術は凡庸であるにもかかわらず、名医と称された人もいたようです。

講釈師の馬場文耕(1718―58)が宝暦6年(1756)に著した『当世武野俗談』に登場する日本橋の小児科医「篠崎三哲」も、そんな医師の一人でした。どんな病人にも同じ薬を出すヤブ医者なのに、なぜか評判が良く家業は大繁盛というのです。

『寛政重修諸家譜』巻1484に記載されている「篠崎長瑞」の通称は「三徹」。やはり小児科医で、宝暦9年に将軍家重に拝謁(御目見)し、同11年に西丸奥医師を拝命しています。篠崎三哲と篠崎三徹はおそらく同人物でしょう。

展示資料は、『燕石十種』(えんせきじっしゅ)所収。『燕石十種』は文久3年(1863)に成った随筆雑著集。岩本活東子編。

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