6. 御触書天保集成
(おふれがきてんぽうしゅうせい)

[請求番号 180-0040]

御乳持は合力金(お給料)の面でたいそう優遇されていました。たとえば宝暦11年(1761)に採用された書院番与力の妻は、年40両と5人扶持(1人扶持は1日5合分の玄米)のほかに支度金と御仕着代(服装手当)あわせて25両を支給されています。それだけではありません。お乳の出が悪くなって御暇を下された(解雇された)ときも、夫が小禄で(お給料が少なくて)、しかも自身にお乳が必要な乳幼児がある場合は(乳母を雇うための)養育費も支給されました。いたれりつくせり。

さぞかし応募者が殺到したと思われますが、将軍家斉の子が相次いで誕生するようになると、御乳持は不足し始めます。応募をためらった女性が多かった理由は、なによりその職場環境にありました。御殿内では湯茶も自由に飲めないし、食事のときも監視付き。いつも監視されてストレスが溜まり、お乳が出なくなるばかりか、体調を崩してしまう女性が多かったというのです。

天明8年(1788)から天保8年(1837)までの幕府の法令を編集した『御触書天保集成』の巻71「御広敷向并御指御乳持等之部」には、御乳持吟味に関する文書が収められています。必要な御乳持を確保するために、吟味を受ける際の手当(受験手当)を増額したり、お乳の出が悪くてもお乳の質(「乳筋」)が良ければ採用するように基準を改めたり。幕府がさまざまな対策を講じた様子がうかがえます。

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