23. 思忠志集
(しちゅうししゅう)

[請求番号 190-0181]

宝永2年(1705)に85歳で大往生を遂げた旗本、天野弥五右衛門長重(あまの・やごえもん・ながしげ)は、延宝4年(1676)5月から元禄2年(1689)5月まで、先手鉄炮頭を務めました。

先手組は弓組と鉄炮組から成り(それぞれの頭が先手弓頭、先手鉄炮頭)、戦時には先陣を務め、平時は江戸城諸門の警固に当たります。頭は配下の与力・同心を監督するだけでなく、彼らが破綻なく職務を果たす環境を作るのも、その重要な務めでした。

天野長重が40年以上にわたって折々の教訓等を記した『思忠志集』に、先手鉄炮頭だった長重が、配下の与力(10人)同心(50人)に幕府から支給された「救金」を殖やすべく、信頼できる借り手に融資した経緯が詳しく記されています。

融資先は旗本の仙石治左衛門政勝。前任の頭から引き継いだ「救金」の残金500両のうち300両を一割の利子で貸し付けましたが、返済が滞ったため、長重は、天和2年(1682)2月朔日、政勝の同姓の仙石右近と仙石丹波守にあて、政勝の「非道」を訴える書状を送りました。

配下の与力同心の経済的困窮を救うために幕府から支給された公金を、安全に運用しながら殖やそうとした天野長重。この試みは、彼の個人的な発案ではありません。中山勘解由直守など他の先手鉄炮頭もこれを実施し、老中からも「尤成心得に候」(当然そうすべきであろう)と褒められたと長重は記しています。

展示資料は、全22冊。

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