12. 朝廷日記
(ちょうていにっき)

[請求番号 165-0068]

大奥で誕生した若君姫君は、病気や体調不良の際にどのような治療を受けていたでしょうか。

寛政9年(1797)に33歳で西丸奥医師になった山添宗積(やまぞえ・そうせき)の公務日誌『朝廷日記』(「朝廷」は幕府のこと)に、将軍家斉の子どもたちの症状と診察、投薬の詳細が記されています。

興味深いのは、医師団に対する将軍の要望まで記録されていること。寛政11年5月6日、満3歳の若君(敦之助)が危篤状態のなか、「下々之小児」に施されるのと同様の治療を試みよという家斉の「上意」が奥医師たちに伝えられました。

どうやら27歳の青年将軍家斉は「子どもたちの死が早すぎるのは、医師たちの治療(投薬と灸治等)が過剰なのが原因の一つではないか」と疑っていたようです。

『朝廷日記』は寛政9年7月から11年12月までの公務日誌で、全8冊。内務省旧蔵。

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