15. 瀬田問答
(らいでんもんどう)

[請求番号 212-0279]

将軍の身を護るだけでなく、ヒゲや月代を剃ったり、湯殿で身体を洗い流したり。小性や小納戸は将軍に密着して御用を務めました。しかし密着度の高さという点では、一時的でごく特殊な役ではありますが、公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)の存在にも触れなければなりません。

公人朝夕人は、すでに平成21年の春の特別展〈旗本御家人〉で紹介したように、土田氏の世襲で、定員1名。将軍が上京参内し尿意をもよおしたとき、銅製の尿筒(小用筒、装束筒とも)を差し出す役の者です。将軍は束帯を着けているので容易に排尿できないので、このような役目が必要だったのでしょう。

しかし公人朝夕人が実際に勤務したのは、家康から家光まで。その後は幕府の記録に登場せず、江戸中期以降は名だけの役目になっていました。

『瀬田問答』は、天明5年(1785)から寛政2年(1790)にかけて、大田南畝(おおた・なんぽ 通称は直次カ)と瀬名貞雄(せな・さだお 通称は源五郎)の間でかわされた問答をまとめた書。南畝にとっても公人朝夕人は謎の存在だったのか、「彼の役目は一体なに?」と質問し、瀬名は「将軍の参内や日光社参の際に小用筒を捧げる役ですが、今は無役同然です」と答えています(いずれも意訳)。瀬名貞雄は武家故実に詳しい旗本で、大田南畝は当時、御目見以下の御徒でした。

展示資料は、全1冊。内務省旧蔵。

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