Ⅳ.おわりに――平家物語とその時代

 平家物語に収められている逸話は、治承・寿永の内乱(源平合戦)当時の史書・日記などの記録類と異なっている箇所が多くあります。また写本によっても内容・表現が大きく違っており、物語は様々な様相を見せます。この章では最後に、当時の記録類や諸本についてご紹介します。

平家物語諸本

読み比べてみよう!――「那須与一」
 舞台は屋島やしまの戦い。
 陸には源氏、海上には平氏の陣が敷かれています。
 両陣が対峙たいじする中、串に扇を立てた一艘いっそうの舟が平氏の陣から現れます。
 これを見た義経よしつねは、弓の名手である那須与一なすのよいちを指名し、扇を射落とすよう命じました。
 与一は馬を海へと乗り入れると、神仏に祈りながら鏑矢かぶらや(中をくり抜いたやじりを付け、音が鳴るようにした矢)を放ちます。
 矢は扇のかなめのそばを射抜き、扇は空へと舞い上がりました。これを見た源平両陣の武士たちは、共にどよめき、歓声を上げました。

 平家物語は諸本によって内容や文言が異なっています。ここでは貴重な資料を用いて、「那須与一」の読み比べをしてみましょう。

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  1. 【挿絵】扇の的を射抜く那須与一
    (明暦2年版『平家物語』:203-0153)

覚一本かくいちぼん『平家物語』

特091-0006

【成立】応安4年(1371)頃
 平家琵琶の名人と称された明石あかし覚一かくいち(?~1371)が、弟子たちに物語を伝授するために整理して書写させたテキスト。建礼門院けんれいもんいんの後日譚を灌頂巻かんちょうのまきとして独立させているのが特徴で、一方いちかたりゅう(『平家物語』を琵琶で語る芸能の流派のひとつ)の琵琶法師たちに重要視された。現在、教科書などに掲載される本文はこの覚一本が多い。
 展示資料は、神道家として徳川家康らに仕えた梵舜ぼんしゅん(1553~1632)の自筆本で、通称を「梵舜本ぼんしゅんぼん」という。天正18年(1590)書写。全12巻12冊。紅葉山文庫旧蔵。

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  1. 与一鏑ヲトテツガヒ、ヨヒイテ、ヒヤウト放ツ。小兵トイフチヤウ、十二束三フセ、弓ハツヨシ、浦ヒゞクホド、ナガナリシテ、アヤマタズ、扇ノカナメギハ、一寸斗リヲヒテ、ヒフツトゾイキタル。鏑ハ海ヘ入ケレバ、扇ハソラヘゾアガリケル。暫シハ虚空ニヒラメキケルガ、春風ニ一撮二撮モマレテ、海ヘサトゾチタリケル。夕日ノ耀ヒタルニ、皆紅ノ扇ノ日イダシタルガ、白浪ノ上ニ漂ヒ、浮ヌ沈ヌユツラレケレバ、奥ニ平家、船バタヲ扣ヒテ感ジタリ。陸ニハ源氏、箙ヲ扣ヒテドヨメキタリ。

下村本しもむらぼん『平家物語』

特125-0001

【成立】慶長年間(1596~1615)刊
 慶長年間に木活字を用いて出版されたもの(古活字版こかつじばん)で、刊行者名に「下村時房しもむらときふさ」(伝未詳)の記載があることから通称を「下村本」と呼ぶ。灌頂巻かんちょうのまきを持ち、本文は覚一本かくいちぼんに近似している。全12巻12冊。昌平坂学問所旧蔵。

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  1. 与一鏑を取つてつがひ、よつひいて、ひやうとはなつ。小兵といふちやう、十二束三ぶせ、弓は強し、鏑は浦響く程に長鳴して、あやまたず。扇のかなめ際一寸斗をいて、ひいふつとぞ射切たる。鏑は海に入ければ、扇は空へぞあがりける。春風に一揉二揉もまれて、海へさつとぞ散たりける。みな紅の扇の日出たるが、夕日にかゞやいて、白波の上に浮ぬ沈ぬ淘られけるを、澳には平家、舷を扣て感じたり。陸には源氏、箙を扣てどよめきけり。