挿絵で読む平家物語
以仁王の挙兵
後白河院と清盛とのあいだを取り持っていた重盛(清盛の嫡男)が若くして病死した。やがて院と清盛の関係は冷え切ったものになっていく。ついに清盛は院を幽閉し、朝廷の実権を握り、建礼門院徳子の産んだ皇子を即位させた(安徳天皇)。
清盛の専横に人々の不満が募る。そしてとうとう以仁王(後白河院の皇子)が、平家追討の令旨を発し、全国の武士や寺社がこれに呼応。最初に兵を挙げたのは、朝廷から深く信頼されていた武将、源三位入道(源頼政)だった。
源三位は以仁王を宇治平等院に匿うが、平家の大軍に攻められる。源三位らの軍勢は宇治川の橋桁を落として抗戦。しかし、ついに宇治川を突破されて源三位は自害。以仁王も落ち延びる途中で討ち取られた。
挿絵は橋桁を落とした橋の上で、平家の軍勢の前に立ちはだかる浄妙(下)と、その頭に手をついて前へと躍り出る一来法師(上)。
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頼朝挙兵
清盛は以仁王に与した三井寺(園城寺)を攻撃。南都(東大寺・興福寺)との対立もますます深まるばかりである。
そこで清盛は後白河院を幽閉したまま、安徳天皇を奉じて福原(現在の兵庫県神戸市)への遷都を強行した。ところが福原では不吉な出来事が相次ぐ。ある青侍(貴族に仕える下級武士)は厳島の神が節刀(反乱の鎮圧に向かう将軍に、帝が任命のしるしとして与える刀)を「清盛から、伊豆の源頼朝に与える」と言う夢を見る。
そして、その矢先、頼朝挙兵の一報が福原に届く。
頼朝は、父の義朝の代に平治の乱に敗れ、罪人として伊豆国に流されていた。しかし関東に勢力を持つ北条氏と組むと、まず伊豆国目代だった山木兼隆を襲撃。さらに石橋山(現在の神奈川県小田原市)では大庭景親ら平家方の軍勢と交戦したのだった。
挿絵は高雄山神護寺の僧である文覚(右)に挙兵を促される頼朝(左)。文覚は亡き義朝の髑髏を頼朝に見せ、平家を討ち無念を晴らすよう迫る。
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