挿絵で読む平家物語

 『平家物語』は中世から琵琶法師びわほうしによる語りや写本によって伝えられてきましたが、江戸時代に入って商業出版が始まると、初心者向けの絵入り本が発行され、一般に広く知られるようになっていきます。
 このコーナーでは江戸時代前期に出版された『平家物語』(請求番号:167-0040)の挿絵をもとに、『平家物語』のあらすじをご紹介します。
 なお本文は出版により広がった「流布本るふぼん」と呼ばれるテキストのほか、「覚一本かくいちぼん」のテキストを参照しています。

【参考文献】
梶原正昭・山下宏明校注『新日本古典文学大系 平家物語』(岩波書店、1991年)
市古貞次校注・訳『新編日本古典文学全集 平家物語』(小学館、1994年)



プロローグ ― おごる平家

 物語は平家一門の絶頂期から始まる。
 当時の上皇やその近臣たちの信頼を受け、平清盛たいらのきよもりは武士としては異例の栄達を遂げた。一門からは公卿くぎょう三位さんみ以上の上級貴族)も輩出。平時忠たいらのときただ(清盛の義弟)は「此一門にあらざらむ人は、皆人非人にんぴにんなるべし(平家にあらずんば人にあらず)」とまで言うほどだった。
 さらに清盛は禿髪かぶろ(かむろ)と呼ばれる、おかっぱ髪の子供たちを都に放つ。赤い直垂ひたたれをまとった禿髪たちは、平家を批判する者を見つけては、容赦なく捕縛して六波羅ろくはら(平家の本拠地で現在の京都市東山区の六波羅蜜寺ろくはらみつじ周辺)へと連行した。都の人々は禿髪を恐れ、馬も車も道を避けて通るほど。禿髪は我が物顔で禁中(朝廷)へも出入りした。

鹿ケ谷ししがたに事件

 後白河院ごしらかわいん建春門院けんしゅんもんいん滋子(清盛の義妹)のあいだに生まれた皇子が即位(高倉たかくら天皇)すると、帝の外戚がいせきとなった平家一門の権勢はますます強まった。朝廷の要職を平家一門が占めるようになり、思うような官職を得られない院近臣いんのきんしん(上皇の側近)たちの不満はいよいよ増していく。そして院近臣の新大納言しんだいなごん成親なりちか(藤原成親)らは、やがて平家打倒の陰謀を巡らし、東山鹿ケ谷ひがしやまししがたに(現在の京都市左京区)の山荘に集まった。
 ところが密告によってこの陰謀は露見。清盛の命令によって新大納言成親をはじめ、陰謀にくみした者はことごとく処罰された。俊寛僧都しゅんかんそうず判官入道はんがんにゅうどう平康頼たいらのやすより)・丹波少将たんばのしょうしょう(藤原成経なりつね、成親の子)の二人とともに鬼界島きかいがしま(現在の鹿児島県沖、南端の孤島とされる)へ流罪となる。徳子(清盛の娘で高倉天皇の中宮、のち建礼門院けんれいもんいん)が懐妊すると、恩赦が行われ、康頼入道・丹波少将は都への帰還が許される。ところが、俊寛僧都だけは許されず、島に置き去りとなった。
 挿絵は都へ向かう船を見送り、「足摺あしずり」(地団駄を踏む、じたばたすること)する俊寛僧都。

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