挿絵で読む平家物語

屋島やしまの戦い

 本三位中将重衡ほんさんみのちゅうじょうしげひらを人質にし、三種の神器返還の交渉が始まるが、平家はこれを拒否。重衡の身柄は鎌倉へと送られた。また平家一門と行動を別にした小松三位中将維盛は、高野山こうやさんで出家すると、那智勝浦なちかつうらの沖(現在の和歌山県東牟婁ひがしむろ郡那智勝浦町の沖合)に身を投げる。
 九郎義経は改めて平家追討の院宣いんぜんを得ると、水軍を仕立てて、平家が拠点とする讃岐国屋島へと向かう。船には逆櫓さかろ(後ろにも進むことのできる櫓)を付けるよう進言する梶原景時かじわらかげとき(頼朝に重用された武将)の制止を振り切って、義経は嵐の中を船で漕ぎ出し、平家の軍勢に奇襲を仕掛ける。
 激しい戦いの合間、平家方から竿に扇を立てた船が現れる。義経は弓の名手である那須与一なすのよいちに命じ、これを射落とさせた。これには平家の人々も感銘を受け、わずかなひと時だけ戦いを忘れて風雅に興じた。
 挿絵は、義経をかばい、家臣の佐藤三郎兵衛嗣信さとうさぶろうひょうえつぐのぶ(佐藤嗣信)(右)が能登守教経のとのかみのりつね(左下)の矢を受けて落馬するところ。屋島の戦いでは両軍とも大きな犠牲を出した。

▼写真をクリックすると、拡大画像が表示されます。

壇ノ浦だんのうらの戦い

 屋島の戦いで敗れた平家一門はさらに西海を漂い、ついに長門ながと国の壇ノ浦だんのうら(現在の山口県下関市の関門海峡)に辿り着き、熊野くまの伊予いよの兵を味方に得た九郎義経の軍勢との決戦を迎える。しかし戦況を不利と見た平家方の軍勢からは裏切りが相次いだ。水手すいしゅ梶取かんどり(船を操る水夫と舵手)も射殺され、平家方の船には源氏方の兵がなだれ込んだ。
 敗北を悟った平家の人々は次々と海に身を投げた。二位尼にいのあま(清盛の妻)はまだ幼い安徳天皇を抱き、三種の神器と共に入水する。経盛つねもり教盛のりもり兄弟(ともに清盛の弟)も手を取り合って海に入る。能登守教経のとのかみのりつねは最後まで奮戦し、義経の近くまで迫るが、最期は敵兵を道連れにして海へ身を投げた。そしてついに新中納言知盛しんちゅうなごんとももりも身を投げる。
 建礼門院けんれいもんいん前内大臣宗盛さきのないだいじんむねもりとその子右衛門督清宗うえもんのかみきよむねらは捕縛され、三種の神器とともに京へ送られた。そして、宗盛・清宗父子は処刑される。また鎌倉に捕らえられていた重衡しげひらの身柄も南都に送られ、焼討の報いとして南都の僧兵たちの手によって斬首された。
 挿絵は安徳天皇を抱く二位尼(中央)と入水する女房たち。

▼写真をクリックすると、拡大画像が表示されます。