挿絵で読む平家物語
屋島の戦い
本三位中将重衡を人質にし、三種の神器返還の交渉が始まるが、平家はこれを拒否。重衡の身柄は鎌倉へと送られた。また平家一門と行動を別にした小松三位中将維盛は、高野山で出家すると、那智勝浦の沖(現在の和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の沖合)に身を投げる。
九郎義経は改めて平家追討の院宣を得ると、水軍を仕立てて、平家が拠点とする讃岐国屋島へと向かう。船には逆櫓(後ろにも進むことのできる櫓)を付けるよう進言する梶原景時(頼朝に重用された武将)の制止を振り切って、義経は嵐の中を船で漕ぎ出し、平家の軍勢に奇襲を仕掛ける。
激しい戦いの合間、平家方から竿に扇を立てた船が現れる。義経は弓の名手である那須与一に命じ、これを射落とさせた。これには平家の人々も感銘を受け、わずかなひと時だけ戦いを忘れて風雅に興じた。
挿絵は、義経をかばい、家臣の佐藤三郎兵衛嗣信(佐藤嗣信)(右)が能登守教経(左下)の矢を受けて落馬するところ。屋島の戦いでは両軍とも大きな犠牲を出した。
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壇ノ浦の戦い
屋島の戦いで敗れた平家一門はさらに西海を漂い、ついに長門国の壇ノ浦(現在の山口県下関市の関門海峡)に辿り着き、熊野・伊予の兵を味方に得た九郎義経の軍勢との決戦を迎える。しかし戦況を不利と見た平家方の軍勢からは裏切りが相次いだ。水手・梶取(船を操る水夫と舵手)も射殺され、平家方の船には源氏方の兵がなだれ込んだ。
敗北を悟った平家の人々は次々と海に身を投げた。二位尼(清盛の妻)はまだ幼い安徳天皇を抱き、三種の神器と共に入水する。経盛・教盛兄弟(ともに清盛の弟)も手を取り合って海に入る。能登守教経は最後まで奮戦し、義経の近くまで迫るが、最期は敵兵を道連れにして海へ身を投げた。そしてついに新中納言知盛も身を投げる。
建礼門院や前内大臣宗盛とその子右衛門督清宗らは捕縛され、三種の神器とともに京へ送られた。そして、宗盛・清宗父子は処刑される。また鎌倉に捕らえられていた重衡の身柄も南都に送られ、焼討の報いとして南都の僧兵たちの手によって斬首された。
挿絵は安徳天皇を抱く二位尼(中央)と入水する女房たち。
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