Ⅳ.おわりに――平家物語とその時代

 平家物語に収められている逸話は、治承・寿永の内乱(源平合戦)当時の史書・日記などの記録類と異なっている箇所が多くあります。また写本によっても内容・表現が大きく違っており、物語は様々な様相を見せます。この章では最後に、当時の記録類や諸本についてご紹介します。

歴史と物語のあいだに

建礼門院右京大夫集けんれいもんいんうきょうのだいぶしゅう

201-0495

【成立】貞永元年(1232)頃
【作者】建礼門院右京大夫けんれいもんいんうきょうのだいぶ(生没年未詳)
 女房歌人である建礼門院右京大夫が、その晩年に自選した私家集しかしゅう(個人の和歌を集めて編纂した歌集のこと)。建礼門院右京大夫は、建礼門院に仕えたことからその名で呼ばれ、平家一門とは深く交流し、特に壇ノ浦だんのうらの戦いで没した平資盛たいらのすけもり(?~1185、清盛の孫)とは恋人関係だった。和歌は彼らとの和歌の贈答、戦乱の追憶、哀悼を中心にし、日記としての側面も併せ持つ。
 展示資料は写年・書写者ともに不明。全1冊。紅葉山文庫旧蔵。

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  1.  展示箇所は、恋人だった亡き資盛すけもりへの追憶を記した場面。
     詞書ことばがき(和歌に添える前書き)には、ある雪の朝に訪ねてきた資盛の美しい姿が、長い年月を経てもなお忘れられないと綴られています。歌集には資盛や一門の人々への供養の思いも記されます。
  2. とし月のつもりはてゝもそのをりの雪のあしたは猶ぞ恋しき
    【大意】雪のように歳月が積もり積もっても、あの雪の朝のあなたの姿は今もなお恋しい

明月記めいげつき

特105-0002

【成立】治承4年~嘉禎元年(1180~1235)
【作者】藤原定家ふじわらのさだいえ(1162~1241)
 『新古今和歌集しんこきんわかしゅう』の選者としても知られる歌人藤原定家ふじわらのさだいえ(ていか)の日記。和歌・有職・天文に関する記載に加え、源氏挙兵から始まる平安時代末期~鎌倉時代初期の動乱を記録している。
 展示資料は享保10~20年(1725~1735)にかけて書写されたもので、紅葉山文庫旧蔵。

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  1.  天福2年(1234)8月2日の記事には頼朝の孫娘に当たる竹御所たけのごしょ(1202~1234)の訃報が記されています。彼女の死によって頼朝直系の血筋は絶えてしまいました。これを定家は「召取平家之遺経嬰児悉失命物皆有報(平家の遺児をことごとく召し取って命を奪った報い」と述べており、当時の死生観・歴史観がうかがえます。