Ⅲ 広がる平家物語

 『平家物語』が琵琶法師の語りや書物によって流布するにつれ、物語は芸能・学問など様々な方面に大きな影響を及ぼしていきます。この章では室町時代から江戸時代にかけての『平家物語』の広がりについてご紹介します。

平家物語研究

読み比べてみよう!――「敦盛最期あつもりのさいご
 舞台は一ノ谷いちのたにの戦い。
 敗れた平家の武将たちは味方の船を追って海へと逃げていきます。これを追走していた源氏方の武将である熊谷直実くまがいなおざね(1141~1208)は、立派な装束を身に付けた敵を見つけ、名のある大将と思い、扇で招き返しました。するとその武将は、直実と勝負するべく海から引き返してきました。
 いざ組み合いとなり、直実が相手を引き落としてその顔を見ると、自分の息子と同じ年頃の少年。相手の父親の心境を思うと、直実は殺すことができません。
 しかし味方の兵の前で敵を助けるわけにもいかず、直実は泣く泣く首を取りました。
 その遺体は笛を身に付けており、直実は明け方に聞いた笛の音が、この武将の奏でるものだったことに気付きます。
 のち、この武将が平敦盛たいらのあつもり(1169~1184、清盛の甥)だったことを知った直実は、世をはかなんで出家します。

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  1. 【挿絵】熊谷直実くまがいなおざね敦盛あつもりを組み伏せる場面
    (明暦2年版『平家物語』:203-0153)

     直実なおざねが組み伏せた相手の首をかこうと、かぶとを押し上げると、そこにあったのは自分の息子と同じ年頃の少年の顔。戸惑っているあいだにも、画面奥(右上)からは源氏の軍勢が迫ってきます。

平家物語抄へいけものがたりしょう

203-0159

【成立】未詳
【作者】未詳
 『平家物語』の注釈書で、江戸時代に刊行されたもの。注釈に長文の批評を添えており、儒教的な価値観から作品内容を論じている。
 展示資料は刊年・刊行者未詳。幕臣の大澤基季おおさわもととし(生没年未詳)の旧蔵で一部補写。

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  1.  展示箇所は一ノ谷いちのたにの戦いにおける「あつもりさいごの事(敦盛最期)」で、上段が注釈、下段が『平家物語』の本文です。注釈部分には「敦盛としたけば、あつぱれの大将にてあらん(敦盛は年齢を重ねれば立派な大将になっただろう」「勇第一也(最も勇敢)」と、敦盛の行動を武士らしいものとして絶賛しています。

平家物語考證へいけものがたりこうしょう

203-0163

【成立】正徳元年(1711)以前
【作者】野宮定基ののみやさだもと(1669~1711)著
    野宮定俊ののみやさだとし(1701~1757)補
 本書は『平家物語』の史実性を考証することを目的とした注釈書で、治承・寿永の内乱当時の貴族の日記を多く引用している。漢文の注記は公家で和学者の野宮定基の手によるもので、漢字片仮名まじり文の注記はその養子である野宮定俊が後から補ったもの。
 展示資料は写年・書写者ともに不明。大学・大学校旧蔵。

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  1.  展示箇所は「あつもりさいごの事(敦盛最期)」で、本文から一段下がった箇所に注記が載っています。ここでは鎌倉幕府による歴史書『東鑑あずまかがみ(吾妻鏡)』を引用して、直実なおざね所領しょりょうを巡るトラブルを抱えていたことを指摘し、出家の理由を「敦盛ガ死ヲアワレムニアラズ」と物語の記述を否定しています。