Ⅱ.妖しきものたちの平家物語

 武士たちのドラマの背後に、暗躍する怨霊・天狗・魑魅魍魎——
 平家物語には教科書にも掲載される有名なエピソードのほか、奇妙で不思議な逸話も多く収められています。この章では平家物語の陰に蠢く妖しき”モノ”たちの姿に迫ります。

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刊年不明版『源平盛衰記』

204-0008

【刊年】未詳
【刊行者】未詳
  展示資料は2巻ずつ合冊され、かつ総目録1冊が独立しているので全48巻25冊。教部省旧蔵。

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  1.  熊野別当くまののべっとう(熊野三山の統括にあたる役職)の湛増たんぞう(1130~1198)は、源平両軍から加勢を求められ、悩み抜いた末、紅白の闘鶏を行って情勢を占うことにしました。すると紅の鶏は白の鶏を見ただけで逃げてしまい、勝負にすらなりません。湛増は平家滅亡を予見し、源氏に加勢。果たして屋島やしまの戦いにおいて、平家は源氏に敗れ、拠点の屋島を失うのでした。

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  1.  【挿絵】源平両軍の勝敗を占う紅白の闘鶏の様子
    (延宝8年版『源平盛衰記』:167-0043)

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  1.  いよいよ壇ノ浦だんのうら(現在の山口県下関市の関門海峡)で源平の両軍が決戦を迎えたその矢先、イルカの大群が現れます。平家の陰陽師おんみょうじは「イルカがそのまま進めば源氏の勝利、引き返せば平家の勝利」と占います。するとイルカは平家の船にまっすぐ向かってきて、船の下を潜り抜けていきます。果たして占いの通り、平家一門はこの戦いで敗北し、ついに滅亡のときを迎えたのでした。

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  1.  【挿絵】平家の船の下をくぐっていくイルカ
    (延宝8年版『源平盛衰記』:167-0043)
     『源平盛衰記』本文はイルカを「大魚」と表現しているため、絵は魚の大群として描かれています。

灌頂本かんちょうぼん『平家物語』

203-0161

【写年】江戸時代
【書写者】未詳
  展示資料は江戸時代に書写された『平家物語』で、建礼門院けんれいもんいんの出家から死を描く灌頂巻かんちょうのまきを持つことから通称を「灌頂本」「平家灌頂本」とする。全12巻12冊。和学講談所旧蔵。

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  1.  幼い安徳あんとく天皇を抱いた二位尼にいのあま(時子)は、三種の神器と共に入水じゅすい。源氏の兵によってかがみたまは発見されますが、ついにつるぎは海に沈んだまま失われたといいます。
     『平家物語』にはこの剣の由来を物語る「剣巻つるぎのまき」という巻がありますが、諸本によって内容が大きく異なります。展示資料では、スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治が語られます。

刊年不明版『源平盛衰記』

167-0049

【刊年】未詳
【刊行者】未詳
  展示資料は江戸時代に出版されたもので、2巻ずつ合冊されているため、全48巻24冊。紅葉山文庫旧蔵。

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  1.  海に沈んだつるぎを探すため、義経よしつね老松おいまつ若松わかまつという海女あま母娘おやこを雇い、海底を捜索させます。すると老松は海底に豪華な宮殿(竜宮城)を見つけます。そこには平家一門の亡霊が暮らしており、剣は安徳天皇と共に大蛇に抱かれていました。
  2. 【現代語訳】
     (大蛇が)「口にくわえているのは宝剣である。抱いている子どもは先帝の安徳天皇である。平家の入道太政大臣(清盛のこと)をはじめとして、一門の人々は皆ここ(竜宮城のこと)にいる。見よ」と言って、傍らの御簾を巻き上げると、法師(清盛のこと)を上座に、品の良い上臈じょうろう(上級貴族、平家一門のこと)たちが数多く居並んでいた。大蛇は「本当はお前(老松のこと)に見せるべきではなかったが、お前が身に付けている法華経ほけきょう功徳くどくによって仏法に結ばれたゆえ、(来世に)生まれ変わらずして(この竜宮の世界が)見えるのだ。金輪際、この剣は地上に返すことはできない」と言って、(竜宮城の)中へと入っていった。

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  1. 【挿絵】義経よしつねに召し出される老松おいまつ若松わかまつ
    (延宝8年版『源平盛衰記』:167-0043)

天和2年版『平家物語』

203-0151

【刊年】天和2年(1682)
【刊行者】未詳
  本資料は天和2年版(167-0037)と同版本。ただし挿絵の位置や枚数が異なっており、印刷あるいは製本の際に手が加えられたことが想像される。全12巻のうち巻8を欠き、全11冊。外務省旧蔵。

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  1.  壇ノ浦だんのうら入水じゅすいした建礼門院けんれいもんいんは救出され、以後は大原おおはら寂光院じゃっこういん(現在の京都市左京区大原)で子の安徳天皇や一門の人々を供養する日々を送りました。そして死の床に伏したとき、紫雲が棚引き、阿弥陀仏あみだぶつ来迎らいごうしたといいます。
     建礼門院の出家から死までを描く場面は、出版によって流布した物語(流布本るふぼん)の最後に置かれており、物語は彼女の極楽ごくらく往生おうじょうによって幕を閉じます。

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  1. 【挿絵】死の床に伏す建礼門院けんれいもんいん(右下)と阿弥陀仏あみだぶつ来迎らいごう
    (刊年不明版『平家物語』:167-0040)