Ⅰ内閣文庫のコレクション形成に寄与した人物たち

むらけんどう(1736~1802)

公孫竜子・大雅集

12こうそんりゅう

307-0016

『公孫竜子』

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『公孫竜子』(「こうそんりょうし」とも読みます)は、紀元前3世紀の思想家・公孫竜(生没年未詳)の思想を述べた書物です。公孫竜は、「はくろん」(白馬は白と馬の二つの概念であり、馬は一つの概念であるから、白馬と馬とは同一のものではない)などの詭弁きべんを用いた人物です。

掲載資料は、木村蒹葭堂手校手跋しゅこうしゅばつ本といわれるもので、木村蒹葭堂自身が朱筆を用いて本文の校正を行い、冊尾に直筆の跋文を記したものです。天明2年(1782)に筆写されたもので、全1冊です。

『公孫竜子』の蔵書印

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『公孫竜子』の蔵書印です。

『公孫竜子』の蔵書印

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  1. ①「蒹葭堂/蔵書印」→木村蒹葭堂の蔵書印。
  2. ②「蒹葭/蔵書」→木村蒹葭堂の蔵書印。
  3. ③「浅草文庫」
  4. ④「日本/政府/図書」
  5. 表紙・巻末「昌平坂学問所」
  6. 巻末「文化甲子」→昌平坂学問所の新収蔵書に押された受入印。新収した年の年号と干支を標示しています。特に、文化甲子の印は、学問所に蒹葭堂旧蔵書が一括入蔵されたので、他の年に比べて使用例が多いことが特徴です。

蒹葭堂自筆の跋文ばつぶん

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天明2年(1782)に『公孫竜子』を入手した蒹葭堂は、職人に命じてその書物を写させました。その後、蒹葭堂自身が朱筆を取り、句点を施した上で書写の誤りを訂正し、この跋文を記して、その書架に収めました。跋文には、このような経緯が、丁寧な文字で書かれています。なお、写本のもとになった資料は伝わっていません。

13たいしゅう

別060-0007

『大雅集』

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『大雅集』は、元の時代末期の詩、約2,000首を集めた詩集です。

掲載資料は、中国で刊行された『大雅集』を、南北朝時代の日本で刊行したものです。太田道灌の旧蔵書で、木村蒹葭堂の手を経て、当館に受け継がれました。全1冊です。

『大雅集』

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『大雅集』は、元の時代末期の詩、約2,000首を集めた詩集です。

掲載資料は、中国で刊行された『大雅集』を、南北朝時代の日本で刊行したものです。太田道灌の旧蔵書で、木村蒹葭堂の手を経て、当館に受け継がれました。全1冊です。

『大雅集』の蔵書印

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『大雅集』の蔵書印です。

『大雅集』の蔵書印

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  1. ①「蒹葭堂/蔵書印」
  2. ②「含雪巣」→太田道灌の蔵書印。
  3. ③「書籍/館印」→書籍館しょじゃくかんは、明治5年(1872)8月に設置され、明治7年7月まで昌平坂学問所跡に存続した日本初の公開図書館です。書籍館の蔵書は浅草文庫を経て、内閣文庫に引き継がれています。
  4. ④「浅草文庫」
  5. ⑤「日本/政府/図書」