Ⅰ内閣文庫のコレクション形成に寄与した人物たち

市橋いちはし長昭ながあき(1773~1814)

宋版予章先生集

02重要文化財 そうはんしょうせんせいしゅう

重003-0002

重要文化財 『宋版予章先生集』

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『予章先生集』は、北宋の時代の文人・黄庭堅こうていけんの詩文集です。書名は、黄庭堅の雅号にちなんだものと思われます。

掲載資料は、南宋の孝宗こうそう(在位1162~1189)と光宗こうそう(在位1189~1194)の時代に刊行されたもので、黄庭堅の詩文集として最初のものといわれています。本来は『予章先生集』30巻と『外集』17巻からなるものでしたが、残念ながら欠巻があり、現存するのは19巻です。

市橋長昭が文化5年(1808)に湯島聖堂に献納した、「宋元版三十部」の一つです。昭和32年(1957)、国の重要文化財に指定されました。

黄庭堅(1045~1105)

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黄庭堅は、北宋の慶暦けいれき5年(1045)、洪州分寧こうしゅうぶんねい(現在の江西こうせい省)に生まれました。あざなちょく、雅号は山谷道人さんこくどうじんといいます。黄庭堅は、しょくにその才能を見いだされ、「蘇門の四学士」の一人に数えあげられています。

黄庭堅は、へい4年(1067)、科挙に合格し、役人となります。そして、王安石が政治改革を行うと、蘇軾とともにその政策に反対し、蘇軾と同じく二度の左遷を経験しました。崇寧すうねい2年(1103)、しゅう(現在の広西こうせいチワン族自治区)に流された黄庭堅は、都に戻ることなく、その地で病没しました。享年61歳(数え年)。

『宋版予章先生集』の蔵書印

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『東坡集』と同じく、「仁正侯長昭/黄雪書屋鑑/蔵図書之印」、「日本/政府/図書」、「浅草文庫」、「顔氏家訓曰…」の蔵書印が確認できます。

『宋版予章先生集』にみられる「欠画けっかく

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「欠画」とは、天子のいみな(本名)を書くことを避けるため、同音・同義の他の字を用いたり、字画の一部を省略したりすることです。

「欠画」がある文字を調査し、その文字を当時の皇帝の諱と対照することで、書物の刊行年代を特定することができます。掲載資料には、欽宗きんそう(在位1125~1127)の諱である「桓」の字が一角省略されています。