29. 貞享暦
(じょうきょうれき)

[請求番号 特004-0011]

わが国では、中国唐代に作成された宣明暦(せんみょうれき)を貞観4年(862)に採用して以来、江戸時代になっても改暦が行われず、このため暦と季節にずれが生じ、日食月食の予測が外れるなど誤差が顕著になっていました。

幕府の碁師の家に生まれ、子どもの頃から天文学に興味を抱いた安井算哲(春海)(のち保井さらに渋川と改姓。1639―1715)は、元の郭守敬らが作成した授時暦を研究。日本各地で行った観測結果とあわせて新暦を作成し、大和暦と命名しました。

算哲は幕府に改暦を上申。観測の結果、大和暦が宣明暦よりすぐれていることが実証され、貞享元年(1684)10月29日、改暦の宣旨が下り、翌年から貞享暦として施行されました。

貞享暦の暦法は基本的に授時暦と同じですが、天文現象の予測時刻を京都で起こる時刻に計算し直すなど、日本の暦にふさわしい内容になっています。なにより日本人が作った最初の暦という意味で、貞享暦は画期的な業績でした。

貞享元年12月1日、算哲はこの功績によって幕府の初代天文方に任ぜられ、以来、編暦の実権は朝廷から幕府に移り、天文方が暦術や観測等の実務を行うようになります。

展示資料は、元禄12年(1699)に呈上された貞享暦(全7巻)の自筆本(巻4のみ江戸末期の補写)。全7冊。紅葉山文庫旧蔵。国の重要文化財。

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