[請求番号 220-0086]
大奥の御乳持には、どのような女性が採用されたのでしょうか。大奥女中の人事ほか各種の文書を記録した『女中帳』には、若君姫君の誕生に伴って採用された御乳持の名も記されています。とりわけ文化2年(1805)から7年までを収録した『女中帳』の2冊目には、将軍家斉がこの期間だけで4男5女をもうけたため、御乳持に採用された女性が多数記録されています。彼女たちの多くは、御目見以下の御家人の妻でした。
御乳持の募集と採用等を担当したのは、意外にも幕府の監察官である目付。目付から幕府の各部署に適任の女性があれば応募させるように通達し、応募者は「御乳持吟味」を経て採用されました。通常は「再吟味」(2次選考)まで行われ、吟味当日は、幕府の奥医師数名と大奥の渉外担当女中である「表使」、そして広敷用人等が立ち合い、応募者の乳汁の量と質、乳房の形、授乳の様子などを厳しくチェックしました。
展示資料は、全2冊。江戸城多聞櫓旧蔵。