[請求番号 149-0043]
11代将軍徳川家斉(いえなり)は、安永2年(1773)10月3日、徳川三卿のひとつ、一橋家の当主徳川治済(はるさだ)の長男として一橋屋敷で誕生しました。
幼名は豊千代。『御嫡子様御実録』には、生母の中掾uおひて」(のちの「おとみの方」)の懐妊着帯に始まり、豊千代が、箸初や袴着などの通過儀礼や疱瘡(天然痘)・水痘(水疱瘡)を無事済まし、成長する過程が天明元年(1781)まで記されています。天明元年閏5月、豊千代は10代将軍家治の世子として江戸城西丸に入りました。
出産と乳幼児の哺育には、さまざまな女性の力が欠かせません。出産のひと月以上前から医師とともに産婆(助産師)の「薩摩姥」(さつまうば さつまばばとも)が泊まり込み、9月には「添うは」(薩摩姥の助手)も泊まり込んでいます。そして誕生後は、旗本谷口内蔵助の妻が「御乳付」(新生児に初めて乳を飲ませる役)を務め、次いで複数の女性たち(やはり幕臣の妻や娘でしょう)がお乳をさし上げました。彼女たちは「御乳持」と呼ばれていました。
展示資料は、全9冊。