20. 自家年譜(森山孝盛日記)
(じかねんぷ・もりやまたかもりにっき)

[請求番号 165-0059]

松平定信に認められ、寛政期に目付や先手鉄炮頭などを務めた森山孝盛(もりやまたかもり 1738―1815)の日記『自家年譜』の天明5年(1785)9月9日の条に、藤枝外記一件に関する次のような裏話が記されています。

藤枝外記と遊女綾絹が心中した所は、千束村の「餌指」(えさし)某の家。事件を知った某は、藤枝家の屋敷に駆け付け「示談金を惜しまず出すなら、私が遊女の抱え主の大菱屋に話をつけ、心中の事実を隠蔽してさしあげます」ともちかけた。ところが藤枝家の家老が「当家の主人は悪所(新吉原)など行ったことはないはず」と突っぱねたので、某は上司の鷹匠頭へありのままを届け出た。一方、藤枝家では、外記が病死したと届け出た。取り調べの結果、藤枝家側の虚偽が露顕し、家は断絶。外記の母と妻も親類方に「押込」となった。

餌指(餌差とも)は鷹匠頭(鷹狩りで用いられる鷹の飼育と調教を担当する鷹匠の頭で、1000石以上の旗本)の配下の者で、鷹の生き餌となる小鳥を捕獲する役目の者(餌指ではなく鶴の餌付けをする「餌撒」の家で心中したとする書もあり)。

餌指の某が事件を金でもみ消すようもちかけたのに、藤枝家の家老が「不案内」だったため(この種の事件が起きたときの対応をわきまえていなかったので)、家断絶の憂き目を見ることになったというのです。

展示資料は、全29冊。

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