[請求番号 151-0293]
[請求番号 151-0272]
[請求番号 151-0271]
[請求番号 151-0303]
[請求番号 151-0305]
幕臣の間でもその役目が忘れられていた公人朝夕人。それでも武鑑(諸大名・諸役人の名鑑)には、幕末まで記載されています。うち幾つかを挙げてみましょう。
(1) 『本朝武鑑』(1685年刊 全1冊。昌平坂学問所旧蔵)では、公人朝夕人は「土田孫左衛門」で住所は「上野黒門前」。
(2) 『本朝武林系禄図鑑』(1702年刊 全4冊。昌平坂学問所旧蔵)では、「土田孫左衛門」で「下や黒門前」。
(3) 『賞延武鑑』(1714年刊 全3冊)では、「土田孫右衛門」(孫左衛門の誤記か)で「西ノ御丸下」。
(4) 『新板改正元治武鑑』(1864年刊 全4冊。外務省旧蔵)には「土田孫左衛門」で「本所竹くら」とあるほか、「十人ふち(扶持)」で「」(目付支配)とあり。
住所だけでなく支配(管轄)も替わったようで、(5)『天保武鑑』(1841年刊 全3冊。外務省旧蔵)等には「」(勘定奉行支配)とあります。さらに『天保武鑑』のイロハ順の索引では、公人朝夕人は「こ」の項にあり、編者が「公人」を「くにん」ではなく「こうにん」と読んでいたことがうかがえます。