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47. 水道管用鋳鉄管製造法の発明(久保田権四郎)

展示資料は、水道管用鋳鉄管の製造方法を発明した久保田権四郎が昭和3年に緑綬褒章を受章した際の文書です。

明治30年久保田は、当時日本の技術では製造が不可能とされていた水道管用の鋳鉄管の製造に成功しました。何の装飾もない円筒形の水道管を造るのは一見簡単そうに見えますが、高水圧に耐え得る強度をもった鉄管を造るためには高度な技術力が必要でした。

さらに、久保田の水道管開発は、明治の伝染病対策に大きく貢献しました。明治初期にはコレラ等外来の伝染病がたびたび流行し多くの犠牲者を出しましたが、伝染病対処策として上下水道の整備が急速に進められることとなり、その結果大量の水道管が必要とされました。こうした中、久保田の発明により、それまで輸入に頼っていた水道管は国内で製造できるようになり、上下水道は急速に普及しました。

久保田はこれ以降も数々の発明を行い、鉄管の製造技術を確立させました。明治末から大正にかけて、鉄管は水道管だけでなくガス管にも大量に使用されて需要を伸ばしたので、久保田の興した久保田鉄工所(現・クボタ)は、大正元年には年間40,000トンの生産力をあげ、国内シェアの六割を誇る企業へと成長しました。さらに鉄管製造以外にも、紡績・工作・農作業用機械、発動機などの製造を手掛け事業を拡大しました。

久保田権四郎褒章下賜ノ件
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広告 久保田鉄工所

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