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36. 国産オルガンの製造(山葉寅楠)

展示資料は、国産オルガンを製造・販売した山葉寅楠に、大正13年に贈位が検討された際の文書です。

山葉がオルガンの製造をはじめたのは、浜松尋常小学校の米国製のオルガンの修理を行ったことがきっかけでした。山葉は、明治20年オルガンの修理後3ヶ月で試作品を完成させました。しかしこの試作品は、東京音楽取調所教授の伊沢修二に、調律が不正確で実用に堪えないと酷評されてしまいました。これは山葉に音楽の経験が全くなかったためであり、すぐさま山葉は伊沢の元で調律法を学び、オルガンの改良を行いました。そして翌年には山葉風琴製造所(現・株式会社ヤマハ)を立ち上げ、販売をはじめました。山葉のオルガンは、明治5年の学制公布により音楽が普通教科に加えられたことを受け、輸入品の高価なオルガンに変わる音楽教育用の廉価なオルガンとして、学校関係を中心に販売数を伸ばしました。明治28年には、国内だけでなく東南アジアに輸出されていました。

また、明治32年には、山葉の渡米を機にピアノの製造も開始されました。アップライトピアノは明治33年から、グランドピアノは明治35年から製造がはじめられ、これらは第五回内国勧業博覧会で一等賞を受賞しました。展示資料は、昭和初期のピアノのパンフレットですが、アップライトピアノとともに国内外の数々の受賞歴が記されています。

故 山葉寅楠(静岡県)
大久保増吉外二名ヘ褒章下賜ノ件
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