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39. 豊田式自動織機の発明(豊田佐吉)

展示資料は、豊田自動織機の創設者豊田佐吉に昭和2年に勲三等が授与された際の文書です。

明治23年、豊田佐吉(1867―1930)は木製人力織機を発明しました。この機械には、織手が筬柄(おさがら)と呼ばれる装置を前方に押すことによって、織機の両端に備えられたリンク装置が作動して緯糸を付けた杼を飛ばす仕組みが付けられていました。織手は片手で杼投げ(緯糸通し)と筬打ちができたことから、この機械は従来の4〜5割の能率を向上させたといいます。さらに、豊田は、明治29年には、日本初の動力織機である「豊田式汽力織機」を発明しています。これは、当時国内の大型紡績工場で使用されていた外国製の動力織機に比べ、木鉄混製のため安価で性能も従来の20倍の生産力を上げたため、遠州(静岡)地方を中心に急速に普及し、綿布業の機械化を進めました。

こうした数々の力織機の改良は、次第に無停止で緯糸、経糸を交換し連続的な操業を可能とする自動織機の開発へと発展することになりました。そして、大正13年、自動杼換装置等の技術を結集した、完全な無停止杼換式豊田自動織機(G型)が発明されました。G型自動織機は、一人で20〜30台を扱うことができることから生産性を飛躍的に向上させ、その性能は国内だけでなく世界からの注目を集めるほどでした。特に、当時の織機トップメーカーであった英国のプラット社はこの機械を世界一とし、昭和4年には、株式会社豊田自動織機から特許権の譲渡を受ける契約を結びました。しかしながら、この特許権譲渡は豊田自動織機を自動車産業へと展開させる契機となりました。なぜなら息子の喜一郎は、譲渡契約の翌年に豊田が亡くなると、自らが進めていた国産自動車の開発に本格的に取り組んでいったからです。

豊田佐吉叙勲ノ件
勲八等松田重次郎外2名叙勲の件
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関連資料

豊田左吉

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